INTERVIEW 2019/06/05

【NEWCOMER INTERVIEW】2代目Akihiro's Story誕生となるか!? Kenta's Story、その序章から。

「ライバルは、安藤さん」と成り上がりに燃えるNEWCOMERがやってきました。
彼の名前はKenta。
小学生時代のいじめ。ケンカの日々を送った中高時代。その歩みも安藤執行役員を彷彿とさせるものでした。
今回お届けするインタビューは、彼が成り上がるまでのStory、その序章です。

■Kenta's profile

年齢:21歳/出身地:東京都/最終学歴:高卒
長所:負けず嫌い/短所:人目を気にする

コメント:昔いじめられていたことがあるので、内気な人の気持ちが分かります。不良をして真っ当な道から外れたこともあるので、オラオラ・イケイケな気持ちが分かります。オールマイティーな奴です。
なりたい将来像:GACKT

-GACKTになりたいの?
【健太】外見はもちろん、内面もカッコイイじゃないですか? 声もシブいし。女性をいかに自分に惹きつけるかとか、他の人にない魅力を持っている人だなって思いますね。

-彼にハマるようになったきっかけって何?
【健太】中学の頃、GACKTさんがデコピンサックで瓶を割るのを見た瞬間、「わぁ、こいつ超強いな」って驚きました。そこから調べるようになりましたね。
最初は外見だけかなって思っていたんですけど、内面も良くて、いろいろなところに別荘とか持っているじゃないですか? 生き様がカッコイイですよね。僕もお金を稼いで、あんな生き方をしてみたいなって思います。

■転校の多かった少年時代、そして貧困の生活への転落

-転校が多かったみたいだね?
【健太】はい。だから、小学生の頃は友達が全然できませんでした。担任の先生の「転校生の健太君です」からはじまる自己紹介への流れに飽き飽きしていたことが、この頃の一番の思い出です。
いろいろあって父親が会社を辞めることになって、Wワークをするようになったのですが、転校はなくなった代わりに、今度は収入が低くて生活が成り立たなくなりました。

-うわ、それは大変だ。お母さんも働いていたの?
【健太】いえ。母親は介護職をやっていた時に腰を痛めてしまって、療養していました。働くことができるようになったのは最近ですね。

-介護は腰をやられるよねー。生活は相当苦しかった?
【健太】4人兄弟だったので、苦しかったですね。ずっとサッカーをやっていて高校の時には関東選抜に選ばれたものの、ユニフォーム代とかスパイク代・ソックス代とか遠征費とかいろいろと出費がかさみ、全部払っていたら生活が送れないという状況に陥り、仕方なくサッカーを諦めました。悔しかったですね。

-境遇を恨んだりとかしなかった?
【健太】両親とかですか? いえ、全然。中高と非行に走っていた頃に、両親にはたくさん迷惑をかけましたから。学校で問題を起こせば学校まで謝罪に来てくれましたし、警察沙汰になれば警察まで謝罪に来てくれました。道を踏み外した僕を見放すことなく育ててくれたこと、両親には本当に感謝しています。

-そっか、いろいろな事情がありそうだね。それじゃぁ、健太の過去をこれから一緒に振り返っていこうか。
【健太】はい、宜しくお願いします。

■いじめられっ子から不良へ、そして知った歩み寄る努力

-子どもの頃、いじめを受けていたと聞いているけど?
【健太】転校が多かったので、仲が良い友人ができなかったんです。性格が内気だったこともあって、次第にいじめを受けるようになりました。ズボンを脱がされたりとか、背後から蹴られたりとか…。だから僕のランドセルは、バナナみたいにCの字に曲がっていました。そんないじめられっ子だった自分から決別するきっかけとなる、ある出会いがありました。

-へー、興味あるなぁ。それはどんな出会いだったの?
【健太】いじめを受けていた時に、ある子が助けてくれたんです。ドラマみたいな出会いでした。
彼はいつも悪さをしているような問題児で、まぁ、不良ですね。自分をいじめていた奴らは僕よりも強かったのですが、彼よりは弱かった。そいつからしてみれば、「弱い奴が弱い奴をいじめている、何が楽しいんだ?」って感じだったみたいです。「強い奴にこそ挑みたい、勝ちたい」みたいな考え方をする奴なので。そいつは僕をいじめていた奴らを蹴散らしてくれて、「大丈夫か?」って手を差し伸べてくれたので、手を取りながら「大丈夫。ありがとう」って御礼を言いました。そこから付き合いがはじまりました。
どんどん仲良くなっていって、不良の道を一緒に突き進んでいったような感じですね。ケンカに明け暮れました。だんだんいじめる奴は減っていって、すると今度は友達が増えてきました。「お、これいいじゃん」って、ますます拳を振り上げるようになって、悪事はどんどんエスカレートしていきました。

-その子とはどこまで一緒だったの?
【健太】小学校・中学校までですね。高校で別になりました。でも、そいつにはメチャクチャ感謝しています。両親たちには迷惑をかけましたが…。

-別々の高校に進学した、その後はどうなったの?
【健太】不良の癖が抜けていなくて、隣のクラスとか調子に乗っている奴は「すぐ表に出ろ」って感じでとがっていました。完全に一匹狼です。クラスでも、いつの間にか孤立していました。
2年生の修学旅行をとても楽しみにしていたんですけど、旅行中は話す相手もいなくて、ずっとホテルの部屋に1人でいたりとか、先生が同伴したりとか、自由にやらせてもらえなくて全然楽しくなかったんですよ。

-あぁ、それは失敗した感じだね(笑)。
【健太】当時付き合っていた彼女にも、「ちょっと変えてみたら?」って言われました。だから変わろうって、まずは歩き方から取り組みました。肩で風を切るような歩き方から、無駄な動きをせずにそのまま颯爽と歩くようにして、言葉遣いも変えるように意識したんです。そしたらだんだんと人が集まってくるようになりました。当時のクラスメイトとは今でも仲が良くて、一緒にご飯に行ったりしていますよ。

■ライバルは誰ですか?

-卒業後は何をしていた?
【健太】製造塗装関係の仕事を、3年11カ月ほどやっていました。電車のドアとか金属板の塗装とか、工場での作業が中心でしたね。ただ給料がとにかく安くて、残業を70・80時間くらいやっていても手取りが20万に届きませんでした。さらに実家が貧乏なので仕送りとか必要な家庭用品を買って送ったり、親の携帯代を払ったり、妹の修学旅行があった時はその積立金を支払ったりしていたので、僕の手許に残るお金といえば、ギリギリ食費だけというのか、その月を生きるために必要な最低限のお金しか残らなかったです。娯楽に使うお金がない。欲があるのに、何も買えない。そのことが自分の中でストレスに変わっていました。
さらに職場の雰囲気も悪くて、先輩たちも働きながら「だりぃな」「早く終わんねぇかな」とか愚痴ばかりこぼしていて、そんな環境にいても楽しくないじゃないですか? さらに年功序列名なので、上が抜けないと上がれない、仕事が評価がされないんです。口では褒めてもらうことも多かったのですが、会社としての評価をみると一番低いものであったりとかして、次第にこんなところにいてもしょうがないって考えるようになって、転職を決意しました。4月いっぱい働いて、退職後すぐにリバースラボに参加した感じですね。

-なるほどね。じゃぁ、リバースラボに期待したのは…
【健太】そうです。ここでは自分が頑張れば頑張った分だけ、成果として評価されると説明を受けました。欲しい物を欲しい時に買うことができない自分を変えたい、そのためには20代のうちに年収1000万を稼ぐようになっていたい、そう考えたのがここを選んだ一番大きな理由です。

※「努力は俺を裏切らない」、健太が好きな言葉です。

-自分が成長するために必要なものって、何だと思う?
【健太】良いライバルだと思っています。ただ、同期とかそういう人たちじゃなくて、もっと上の幹部の方とかですね。同期って、同じスタートじゃないですか? 同じ位置にいる奴を意識しても、上に上がることはできないと思っているので。だから僕のライバルは、ちょっと調子に乗った発言になってしまいますが、安藤さんだったり山下さんだったりとか幹部の方々ですね。僕は成り上がりたいという思いが強いので、そういった方々を勝手にライバル視しています。

研修終了後は、千葉支局に配属されたKenta。
内に宿す激しい情熱は、己を鼓舞する発言ひとつひとつからも感じることができます。
下から組織を焚きつけるNEWCOMERは、どこまで上りつめるのでしょうか?
NEWCOMER Kentaの背中から目が離せません!!


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