INTERVIEW 2019/06/03

【卒業INTERVIEW】Another Rebirth Story MASAYUKI ―真面目過ぎた挑戦者の功績―

 夢もやりたいこともない彼は、深い闇から抜け出せないまま、2016年3月に3Backsに入社しました。
 変えたかったもの。真面目過ぎる自分、自信がない自分、周りの目を気にする自分、意見を言えない自分、相談することができない自分、言い訳ばかりする自分、精神的に弱い自分…。
 これは2018年4月に卒業を迎えた勝幸の歩みを振り返る、少し遅れて届いた卒業INTERVIEWです。

夢も目標もなく

・最終学歴が大卒となっていますが、卒業後は何をしていましたか?

 僕は子どもの頃から夢とかやりたいことがなくて、就職活動でも何となくアパレルをやってみたいな感じで15~20社くらい受けていました。結局受かったのは1社だけだったので、そのアパレルメーカーに入社しました。

・「このままでいいのかな」など、不安を抱きませんでしたか?

 やっぱりありましたね。入社後も「この会社でいいのかな?」って思いながら、ズルズルと働いていました。上司のパワハラや激務でうつ病になり2回ほど休職したこともありましたが、なんだかんだで9年が過ぎていました。

・辞めるという選択はなかったのですか?

 辞めたところで、他にやりたいこともなかったですから。30歳くらいの時に転職活動をしたのですが、他の業種を見ても自分のやりたいものとは到底思えなくて、やっぱり今の会社のままでいいやって転職活動を諦めた頃にネットワークビジネスの誘いを受けました。31歳の頃だったと思います。

・誰から紹介を受けましたか?

 会社の元同僚です。話を聞いて、外にはこんな世界もあるんだなって感激しました。自分の生き方とかを真剣に考えるきっかけになって、やりがいのないアパレルメーカーにいても意味がないので辞めようと考えて退職しました。

・ネットワークビジネスで順調に稼ぐことができましたか?

 しばらく専念していたのですが、やはり稼ぐことができなくて、いろいろなものに手を出しました。少ししてからネットワークビジネスを紹介してくれた元同僚から連絡があり、ある運用会社への投資の話が持ちかけられました、「半年くらいでちゃんとお金が入ってくるようになる。これだったら信用できる」って。信用して運用資金を調達するために550万の借金をしましたが、1年くらい経った頃からお金が入ってこなくなりました。簡単に言うと逃げられたんです。
 この時点ではもうネットワークビジネスで稼ぐことに限界を感じるようになっていて、派遣の仕事をはじめるようになりました。その日暮らしの生活を送っていましたが、最終的には時給がいいコールセンターの仕事に落ち着きましたね。

・最終的に借金はどのくらいまで膨らみましたか?

 800万です。絶望しました。そんな時に当時人事をやっていた萱田に会う機会があって、その席で3Backsを紹介されました。池袋にある某ホテルのカフェでした、今でも覚えています。

ありのままの自分を見せる勇気

・3Backsの事業をどのように感じましたか?

 楽勝だーという印象ですね。前職のアパレルメーカーの経験から、お客様を一から作る苦労を知っていました。顧客リストがない状態から、仕事をするのは大変なんです。でも3Backsが受託しているメディアの契約業務は、すでに顧客リストがあるじゃないですか? 契約状況も把握できるーこれだけで十分魅力的だったんです。

・実際にやってみるとどうでしたか?

 2週間くらい経っても、誰にも会うことができませんでしたね。「イメージと全然違うじゃん」ってテンションは下がっていく一方でした。その頃は平日が寮・週末は実家という生活だったのですが、親にも「大丈夫?」って心配されていて… でも性格上「辛いから辞めます」って言うことができなくて、どうすれば辞めることができるのだろうってことばかり考えていました。
 そんな時に母親が体調を崩して、手術をすることになったんです。「母親の面倒を見るために、会社を辞める」、そのことを理由にした退職届を用意しました。

・退職届を提出した時のことを詳しく教えてください。

 退職届と一緒に辞める意志を伝えた時に、山下さんから「母親の病気を理由にしているけど、結局のところ自分が辛いからやめたいんでしょ。何でそう言えないの? 直さなきゃいけないのはそういうところでしょう?」と指摘されました。見抜かれていたんでしょうね、僕は嘘を吐くのが下手なので。三浦さんにも同じようなことを言われて、恥ずかしくなりました。
 少しずつ本音を… 正直に自分が感じていること、自分がこの環境から逃げたがっていることを伝えているうちに涙が溢れてきて、気がついたら号泣していました。すべてを吐き出したら、「やってやろう」という気持ちだけが残っていましたね。その日の朝までは辞めるつもりで家を出てきたのに、帰るなり自分の荷物をすべてまとめて寮に移りました。自分なりに覚悟を決めた瞬間です。

・そこから挑戦の日々がはじまったと思うのですが、辞めたいと思ったことはありますか?

 何度もあります。その度に、この苦しさは自分の人生を清算するためにやっているのだとか、辞めたところで自分には何も残らない、だからもう少しだけ逃げずにやろうと自分に活を入れ続けました。
 最終的にはCHIEF MANAGERまで昇格することができましたが、支局の勢いに助けられての昇格だったので、自分はそんな器じゃないのにという申し訳なさ、求められる理想像に追いつかなきゃいけないという焦りが重くのしかかって、素直に受け入れて喜ぶことができるようになるまで少し時間がかかりましたね。

・卒業はどのように伝えられましたか?

 去年の5月決起会が終わった後に山下さんに呼ばれて行ってみたら、代表と人事の方が何名かいて「勝幸、お疲れ」って言葉をかけられました。「えっ?」って感じでした(笑)。
 「2年間営業をやってCHIEF MANAGERまで昇格したし、これ以上を目指すのではなくて別のステップに進むことを考えてみたらどうだろう?」って会社側が考えてくれたみたいです。卒業と同時に、3Backs本社への配属が決まりました。

・どのような思いを抱きましたか?

 「もう、あんな辛い思いをしなくていいんだ」って安堵こそあったものの、営業特有のエネルギッシュな空気から離れる寂しさもあって、2つの感情が複雑に混ざり合っていましたね。
 その後4カ月ほど人事・営業の新人研修に関わりましたが、9月の終わり頃に三浦代表と山下さんからあるミッションが下されました。

・どのような内容でしたか?

 10月から千葉支局に異動させるから、支局長の駿悟をSECTION MANAGERに昇格させるようにという指示でした。

元上司からの最後の贈り物

・駿悟との付き合いは、いつ頃からですか?

 僕がここに来て1年目の年末に埼玉西支局が立ち上がって、そこの責任者として配属が命じられました。駿悟はその時の部下です。

・支局の運営は上手くいきましたか?

 全然ダメでしたね。その時は僕と広樹と駿悟だけしかいなかったのですが、駿悟以外は売り上げがボロボロの状態でした。売り上げが安定せず、部下もついて辞めての繰り返しといった感じで…。半年後の7月末に組織が解体され、僕は部下がいない状態で本社に戻されました。

・組織の解体は辛かったですか?

 僕は責任を感じやすい人間なので、支局の立ち上げメンバーに選ばれた時も期待よりもプレッシャーの方が大きかったんです。だから解体された時は落ち込みこそしたものの、肩の力が抜けてホッとしたというのもあって、正直半々の気持ちでしたね。

・それで昨年末、駿悟のSECTION MANAGER昇格が決まりました。やはり嬉しかったですか?

 そうですね。実は12月下旬に追加でミッションが与えられていて、僕が個人売り上げを50万取ってくることができればSECTION MANAGERクラスの昇給を検討してもらえるという話がありました。でも、僕の中では駿悟をSECTION MANAGERに昇格させたいという思いが強かったので、条件である組織売り上げの達成を優先して帯同についたりしていました。結果、個人売り上げは23000円足りず、僕の昇給の話は流れました。
 でも、駿悟の昇格は本当に嬉しかったです。3人でやっていた頃から思っていたことですが、自分とは違って彼はプレイヤーとして一流だと思っていたので。

ともに歩んできた仲間たちへ

 でかい夢や野望がなくたっていいです。やりたいことがまだ見つかってなくたっていいんです。
 だけど、それをできない理由にするのは違います。
 目の前の目標や課題に対して全力で取り組むことはできるはずです。
 どんな人だって前進しています。だからこそ、人は必ず成長できるんです。
 私のように「もう少しだけ頑張ってみるか」でもいいので、何度立ち止まっても、何度失敗しても、何度ダメになっても、腐らず自分を諦めないでください。
 最後は笑って卒業しましょう!!

 卒業後は3Backs本社に所属し、新規事業の立ち上げに尽力する勝幸。
 もう少しだけ、もう少しだけを積み重ねて、成長を遂げた圧倒的な存在感は3Backsにとっても心強いものです。 
 とはいえ彼の物語はまだまだスタートライン、続きはまた別の機会にご紹介したいと思います。
 どうぞお楽しみに!!