POWER OF TOKYO

学歴もキャリアもない、でも覚悟を決めれば人生はいつだってやり直すことができる、
そのことを証明し続ける、いつまでも。

果たされた約束、
そして受け継がれていく意志。

  • 年齢:32歳
  • 学歴:高卒
  • 前職:介護職
  • 出身地:北海道

学生時代に受けたいじめからの不登校、専門学校中退、結婚と離婚、交通事故での車椅子生活、難病そして鬱病の併発、20代には辛い思い出しかないと話す拓弥が3Backsと出会ったのは29歳の時でした。

そこからはじまった、弱い自分とひたすら向き合う研修の日々。
耐え続けた2年間の終わりで達成したCHIEF MANAGER昇格、そして果たされた支局全員で壇上に立つという約束。

「鬱は治すことができるし、人は必ず変わることができます。僕が証明します。見ていてください」

3月、≪どんな困難にも立ち向かう男≫はリバースラボを卒業しました。
これは拓弥の足跡を追った卒業INTERVIEWです。
※彼がリバースラボにジョインするまでの歩みは、こちらで詳しくご紹介しています。

卒業

・キャッチコピーに≪どんな困難にも立ち向かう男、絶賛補習中≫とありますが、この補習中とはどういう意味でしょうか?

本来なら2年で研修は終わるはずなのですが、僕は3年目の段階で卒業できていなかったんです。そのことについて、「補習中だね」って三浦代表に言われたので(笑)。

・リバースラボでの2年と補習を終えて、どのような思いを抱いていますか? そして、これからどんなことに取り組んでいきたいですか?

あんなにダメだった自分がよくやりきったなって思っています。これからについてですが、リバースラボに残って新人教育を担当することになりました。
ここに来る子たちは自分にコンプレックスをもつ子たちが多いと思うので、その子たちに人は変わることができるということを伝えていきたいです。調子よくセンスで上がってきた子たちに比べたら、自分は上手く伝えられると思うので… 彼らにとっていい相談相手になれたら嬉しいですね。

・三浦代表や役員からはどんな言葉をかけられましたか?

三浦代表や山下さんからは、新人研修担当というのがすでに決まっていたので、「本当にお疲れ。これからもよろしくな」って言われました。
退職した山田さんには「入ってくる子によく拓弥の話をしているんだけど、お前は本当に3Backsの誇りだよ」って言ってもらいました。この言葉はグッときましたね。

・山下執行役員には入社時から面倒を見てもらったということもあって、感謝している部分も大きいのではないでしょうか?

そうですね。僕が会社に残るって決めたのも、そこの部分が大きいです。僕は他の頑張っている子たちに比べて、成り上がりたいって熱量が低いんです。それでも残ることを決めた理由は自分でも分かっていなかったんですが、山下さんから「お前がここに残っているのって、結局会社への恩なんだろう?」って指摘された時に、「あぁ、そっか」って腑に落ちました (笑)。
山下さんは、今でも新人の子に話をする時に僕のダメだったエピソードをするみたいです。この人はそんな昔のことまで、ずっと覚えているんだなって思いますね(笑)。でも「そこらの支店長より、拓弥が強いのはそういうところだよ」って皆の前で褒めてくれた時は、すごい嬉しかったですね。

2つの約束

・卒業を迎えて、達成できたことはどんなことですか?

CHIEF MANAGER昇格ですね。
山下さんと1年半の面談をしていた時、「セカンドキャリアに進むにしても進まないにしても、高い役職につけばここまで昇格できましたよって推薦書も書けるし、こちらに残るのであればあらためて三浦代表の方からオファーがあるだろうから、実績を残す意味で残り半年でCHIEF MANAGERに絶対なれよ」って言われて、1月が期限だったんですけど12月末で達成することができました。
そこで卒業することもできたんですけど、今残っている子たちのこともあったので少し延長してやっていた感じですね。

・約束を守るためのCHIEF MANAGER昇格だったのですね。

確かに山下さんとの約束を守ることも大事でしたが、でも僕にはもうひとつCHIEF MANAGERに昇格しないといけない理由がありました。それが下についていた涼の親御さんとの約束でした。

・涼の親とはどんな約束を交わしましたか?

涼の親御さんは自営業をやっているのですが、涼を戻そうとしていて、涼自身もちょっとブレていて売り上げを出せていない時期だったので「辞めます」って相談を受けたんです。
でも僕にはそれが彼の本心に思えなくて、詳しく話を聞いていきました。そしたら涼の口から「本当は続けたいです。もっと頑張りたいです」って言葉がこぼれて… だから相談するため、親御さんのところに一緒来行きました。

涼の親御さんと挨拶をして話を聞いていると、親御さんは収入の心配をしているようでした。
僕はその時MANAGERでしたが、これは涼に上げてもらった役職でした。だから僕も最初は彼と同じだったこと、でも1年で400万までもらえるようになったこと、そしてそれは涼のお蔭であることを伝えました。だから、今度は僕がそれを涼君に味わせたい… って言い方は変なのですが、今年中に彼を必ずLEADERに昇格させますって約束しました。
僕がCHIEF MANAGERに昇格するための条件として、直下の涼と智文をLEADERに昇格させる必要があったので、2つの約束のために絶対に昇格したかったというのがありましたね。

最高の思い出

12月末の昇格者表彰で、SECTION MANAGERに昇格した雄太は当時20歳。
その壇上でお祝いのコメントを述べたのが直下の拓弥でした。
一回り違う2人のはどのような上下関係を築いたのでしょうか?


・雄太は、どのような上司でしたか?

雄太はイーブンに僕のことを見てくれたので、お互い言いたいことは何でも言い合いましたね。むちゃくちゃケンカもしました。でも、僕だけじゃなくて雄太には皆感謝していますよ。

・昇格は最後までもつれこんだと聞きましたが?

雄太のSECTION MANAGERは、最終日の9時の段階でも決まっていなかったんです。自分が涼に帯同でついて、雄太が泰裕と大悟の帯同について昇格が確定したって感じですね。
雄太には「僕のチームは自分でやるから、泰裕のチームのサポートに集中してくれ」って頼んでいました。あとは時々でしたが、僕も泰裕の下の一樹の帯同にもついていました。本当はチーム以外のところを手伝うのはタブーなのですが…。
ただ僕が自分のチームを見ていたことにより、雄太が泰裕のところに集中できたというところについては、雄太も感謝してくれていると思います。

・初めて雄太と出会ったのは、いつ頃でしょうか?

グアム旅行の時でした。
当時、僕は埼玉支局であいつは静岡支局だったので、それまでまったく会う機会がなかったんです。旅行中で覚えていることといえば、帰りに彼が店でコーヒーを買っていたんですよ、英語で。その姿を見た時に、「なんだこのスカした野郎は」ってなぜか腹が立ちましたね(笑)。だから、第一印象は悪かったです。今となっては笑い話ですが。

その後、僕は神奈川支局に雄太は池袋支局に異動して、互いに大変な時期を迎えました。
そんな時に話す機会があって近況を報告し合って「お互い大変だね」って、そしたら互いに親近感を抱いたみたいで。「なんだ、こいついいヤツじゃん」って(笑)。実際に話してみないと分からないものですよね。

・リバースラボに参加する人たちは、最初の頃は自分が成り上がりたいという目標をもっています。それがいつしか、誰かを上げたいと思うようになる…。この変化はどうして生まれるのでしょうか?

やっぱり、恩じゃないですか? <皆、結構直上を上げたいって気持ちが強いんです。
SECTION MANAGERが誕生するということは、ひとつの組織が完成することなので。ピラミッドのように役職が重なり合って組織が作られていく中で、SECTION MANAGER・支局長の世話になっていないメンバーなんて絶対にいないと思いますから。

マネジメント論

・自分はどんな上司であったと思いますか?

僕は上は嫌われるものだと思っているんです。自分が関わる子には自分みたいには絶対になってほしくないというのが強かったので、そこは厳しく接していました。「こいつらが変われるんだったら、嫌われるくらいいいじゃん」って感じですね。
上からもいつも言われていたんです、「拓弥はいつも下に厳しすぎるから、そういうところは変えないとダメだよ」って。でも、僕はそこだけは言うことを聞かないで、自分のやり方を貫いていました。
だから、下についた涼や弘樹や利由喜が、「あとになって拓弥さんが言ってくれたことが分かりました」って言ってくれた時は嬉しかったですね。

・自分が関わってきた部下たちに、1番大切にしてほしいことはどんなことですか?

立ち向かうことです。
YMノート(※)にはクレド(信条) を書くところがあって、部下を指導している時、「自分が書いたクレド守れているの?」って話をすることがあるんです。

ある時「じゃぁ、自分はどうなんだろう」ってふと思って、寮に帰って読み返してみたんです。
僕がYMノートに書いていたのは、立ち向かうということでした。どんな困難にも立ち向かう、過去の自分に立ち向かう…。ずっと覚えていた訳じゃないんですけど、「できてる」って思えて嬉しかったですね。
 ※YMノートとは自分の夢や目標を書いて、実現させるためにプランニングツールです。

卒業式のスピーチで拓弥は、部下たちの顔を眺めながら「この中の誰かがSECTION MANAGERになって、自分の意志を継いでくれると嬉しいです」と涙を流しました。
拓弥の意志は確かに受け継がれ、これから加わっていく仲間たちに継承され続けていくことでしょう。
「鬱は治すことができるし、人は必ず変わることができます。僕が証明します。見ていてください」
どんな困難にも立ち向かう男の補習、これにて修了。


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