2019/04/23
学生時代に受けたいじめからの不登校、専門学校中退、結婚と離婚、交通事故での車椅子生活、難病そして鬱病の併発、20代には辛い思い出しかないと話す拓弥が3Backsと出会ったのは29歳の時でした。
そこからはじまった、弱い自分とひたすら向き合う研修の日々。
耐え続けた2年間の終わりで達成したCHIEF MANAGER昇格、そして果たされた支局全員で壇上に立つという約束。
「鬱は治すことができるし、人は必ず変わることができます。僕が証明します。見ていてください」
3月、≪どんな困難にも立ち向かう男≫はリバースラボを卒業しました。
これは拓弥の足跡を追った卒業INTERVIEWです。
※タイトルのオンリー・ホーリー・ストーリーの、"ホーリー"は拓弥の愛称です。
本来なら2年で研修は終わるはずなのですが、僕は3年目の段階で卒業できていなかったんです。そのことについて、「補習中だね」って三浦代表に言われたので(笑)。
あんなにダメだった自分がよくやりきったなって思っています。これからについてですが、リバースラボに残って新人教育を担当することになりました。
ここに来る子たちは自分にコンプレックスをもつ子たちが多いと思うので、その子たちに人は変わることができるということを伝えていきたいです。調子よくセンスで上がってきた子たちに比べたら、自分は上手く伝えられると思うので… 彼らにとっていい相談相手になれたら嬉しいですね。
三浦代表や山下さんからは、新人研修担当というのがすでに決まっていたので、「本当にお疲れ。これからもよろしくな」って言われました。退職した山田さんには「入ってくる子によく拓弥の話をしているんだけど、お前は本当に3Backsの誇りだよ」って言ってもらいました。この言葉はグッときましたね。
そうですね。僕が会社に残るって決めたのも、そこの部分が大きいです。僕は他の頑張っている子たちに比べて、成り上がりたいって熱量が低いんです。それでも残ることを決めた理由は自分でも分かっていなかったんですが、山下さんから「お前がここに残っているのって、結局会社への恩なんだろう?」って指摘された時に、「あぁ、そっか」って腑に落ちました (笑)。
山下さんは、今でも新人の子に話をする時に僕のダメだったエピソードをするみたいです。この人はそんな昔のことまで、ずっと覚えているんだなって思いますね(笑)。でも「そこらの支店長より、拓弥が強いのはそういうところだよ」って皆の前で褒めてくれた時は、すごい嬉しかったですね。
CHIEF MANAGER昇格ですね。
山下さんと1年半の面談をしていた時、「セカンドキャリアに進むにしても進まないにしても、高い役職につけばここまで昇格できましたよって推薦書も書けるし、こちらに残るのであればあらためて三浦代表の方からオファーがあるだろうから、実績を残す意味で残り半年でCHIEF MANAGERに絶対なれよ」って言われて、1月が期限だったんですけど12月末で達成することができました。
そこで卒業することもできたんですけど、今残っている子たちのこともあったので少し延長してやっていた感じですね。
確かに山下さんとの約束を守ることも大事でしたが、でも僕にはもうひとつCHIEF MANAGERに昇格しないといけない理由がありました。それが下についていた涼の親御さんとの約束でした。
涼の親御さんは自営業をやっているのですが、涼を戻そうとしていて、涼自身もちょっとブレていて売り上げを出せていない時期だったので「辞めます」って相談を受けたんです。でも僕にはそれが彼の本心に思えなくて、詳しく話を聞いていきました。そしたら涼の口から「本当は続けたいです。もっと頑張りたいです」って言葉がこぼれて… だから相談するため、親御さんのところに一緒来行きました。
涼の親御さんと挨拶をして話を聞いていると、親御さんは収入の心配をしているようでした。僕はその時MANAGERでしたが、これは涼に上げてもらった役職でした。だから僕も最初は彼と同じだったこと、でも1年で400万までもらえるようになったこと、そしてそれは涼のお蔭であることを伝えました。だから、今度は僕がそれを涼君に味わせたい… って言い方は変なのですが、今年中に彼を必ずLEADERに昇格させますって約束しました。僕がCHIEF MANAGERに昇格するための条件として、直下の涼と智文をLEADERに昇格させる必要があったので、2つの約束のために絶対に昇格したかったというのがありましたね。
僕は上は嫌われるものだと思っているんです。自分が関わる子には自分みたいには絶対になってほしくないというのが強かったので、そこは厳しく接していました。「こいつらが変われるんだったら、嫌われるくらいいいじゃん」って感じですね。
上からもいつも言われていたんです、「拓弥はいつも下に厳しすぎるから、そういうところは変えないとダメだよ」って。でも、僕はそこだけは言うことを聞かないで、自分のやり方を貫いていました。だから、下についた涼や弘樹や利由喜が、「あとになって拓弥さんが言ってくれたことが分かりました」って言ってくれた時は嬉しかったですね。
立ち向かうことです。
YMノート(※)にはクレド(信条) を書くところがあって、部下を指導している時、「自分が書いたクレド守れているの?」って話をすることがあるんです。ある時「じゃぁ、自分はどうなんだろう」ってふと思って、寮に帰って読み返してみたんです。
僕がYMノートに書いていたのは、立ち向かうということでした。どんな困難にも立ち向かう、過去の自分に立ち向かう…。ずっと覚えていた訳じゃないんですけど、「できてる」って思えて嬉しかったですね。
※YMノートとは自分の夢や目標を書いて、実現させるためにプランニングをするツールです。
→【卒業INTERVIEW】オンリー・ホーリー・ストーリー2≪後編≫に続く!!!