INTERVIEW 2020/02/14

GO NEXT(→) 跳ねろ、スリバ!!!/『人生の棚卸しで導き出されたのは、≪イルミネーター≫になりたいという解。すべての人々が、望む人生を自由に選択することができる社会をつくる』Vol.2 人事部 友森旺彦

昨年、設立から10年を迎えた3Backs。
事業のさらなる拡大にともない、現在急ピッチで内部統制が図られていますが、その屋台骨ともいえるコアメンバーたちがいます。
彼らはどのようなストーリーを経て、3Backsに入社したのでしょうか。そして、抱くビジョンとは?
3Backsのミライを照らすGo Nextシリーズ、Vol.2は人事部の友森旺彦(28)をご紹介します。

友森 旺彦(Akihiko Tomomori)
2019年11月入社。部署の責任者としては最年少。実年齢よりも落ち着いて見えるが、酔うと年相応の可愛さが出てくる。天才肌ゆえに、言葉のチョイスが独創的。大学中退。
三浦代表との付き合いは8年と長く、そのビジョンに共感しリバースラボに参画する。好きな言葉は、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」。

「とにかく自分が最優先、自分さえよければそれでいい。当時はスポットライトを浴びていないと満足できなかったんですよ」

-それでは、インタビューをはじめようと思います。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。僕のストーリー、上手く聞き出してくださいね。結構面白いと思うので(笑)。

-努力します(笑)。大学を中退した後は、何をしていましたか?

もともと中退したのが、在学中にフルコミッション営業(完全歩合制)にはまってしまい、大学の授業よりもそちらの方が面白くなってしまったからという理由からでした。
当時請け負っていたのはITスクールの営業でしたが、案件をもらう形で尚記さんと知り合ったのもこのタイミングです。この出会いと、そこからはじまった2年間は強烈でしたね。とにかく面白かった。

-そこまでのめり込んだのはどうしてでしょうか?

結果を出すことが面白かったし、自分が関わったことによって誰かの生き方が良い方向に変わっていくことがとても魅力的でした。といっても、当時は営業として関わっていたので、稼ぐことが第一ではありましたが。

-そんな夢中になった仕事を、22歳の時に辞めていますがなぜでしょうか?

いつの間にか惰性で回すようなっていて、先のビジョンもなく限界が見えていました。
その前年に結婚して、子どもが産まれたことも大きかったですね。妻の両親から「何の仕事をしているのか今ひとつわからないから、この機会に手堅く働いてほしい」と頼まれたこともあり、それを機に手を引きました。

-そこからサラリーマン生活がはじまったのですね。

結局、3か月しか続きませんでしたが(笑)。
WEB制作会社でディレクターをやっていたのですが、月収が1/7まで下がってしまったんです。それを補うために土日を使ってウォーターサーバーのフルコミッション営業をやっていました。休みなく働いている自分、そうまでしないと満足な収入を得られない親としての情けなさもあって、毎日が辛かったですね。

-そこからはどのようなキャリアを歩みましたか?

その後も個人事業主として営業代行の仕事をしたり、人材紹介会社でヘッドハンティング業務に従事したり、プログラミングスクールで人材紹介事業の立ち上げに関わったりと、さまざまな企業を渡り歩きました。でも、あまり続かなかったですね(笑)。
ついには自分でやった方が稼げるんじゃないかという安易な結論に至って、28の時に起業を決意しました。仲間3人で会社を立ち上げたところまでは良かったのですが、その後少しもめてしまい、僕だけが抜けることになりました。
そのまま3Backsに入社して、今に至るというのが主な流れですね。要所要所をかなり端折っていますが。

-結果的に起業するという目的も果たせなかった訳ですが、うまくいかなかった原因はどこにあると分析していますか?

とにかく稼ぎたい、自分さえ生き残ればそれでいい、そんな超自己中な動機だったからじゃないでしょうかね。不純だらけの動機であったとしても、起業するだけだったら誰にでもできますから。
でも、それだけじゃ成功しないんですよ。
その先に進むためには、実現させたい世界や変えたい社会の構造だとか、やっぱり自己満足を越えるビジョンが必要になってくる。自分にはそれがなかったんです。だから、当然の結果じゃないかなと。

-欲求はたくさんあっても満たされない、20代は相当燻っていたのではないでしょうか?

燻り倒していましたよ(笑)。自分、自分、とにかく自分が最優先、自分さえよければそれでいい。当時はスポットライトを浴びていないと満足できなかったんですよ。
でも僕がどれだけ組織を引っ張ろうと、数字を上げようと、できたことといえば結局組織をかき乱すことでした。
次第に、居場所がなくなっていきました。誰よりも居場所を作りたかったはずなのに、居場所をなくすきっかけを作っていたのはいつだって僕でした。

「高い低いの違いはあっても目指しているものは同じでした。その時に、もう一度この人とやってみたいと思ったんです」

-そんな自分と正面から向き合ったのは、どのタイミングでしょうか?

このままじゃいけない。30手前になって、人生の棚卸しをしようと決意したんですよ。余計なものを取り払って、友森旺彦が本当やりたいことは何なのかを突き詰めたんです。
出た答えは、≪イルミネーター≫という存在でした。

-それは何でしょうか?

その人が見えていないものを照らす灯りというのでしょうか、僕が勝手にそう呼んでいるんですけどね(笑)。
人生って真っ暗な中を懐中電灯をもって歩いているようなもので、まっすぐに前方に伸びていく光は長いけど細くて狭い。そこで僕がパッと頭上から全体を照らすんです。すると探していたものが、意外と傍にあったりします。
自分が関わった人たちに、そのことを気づかせてあげたい。それが僕の欲求でした。

-その欲求が、リバースラボに参画する動機になる訳ですね。三浦代表とは、どのようなやり取りが交わされましたか?

2018年くらいから、尚記さんと定期的に会うようになっていました。そこで、将来的に自分がやりたいものを聞いてもらっていたんです。「まだまだ、違う」って、散々ダメ出しされましたが(笑)。
でも、久し振りに尚記さんと話をして驚いたんですよ。世界観や経営者としてのビジョンが、僕より遥かに高いところにあったたので。でも、高い低いの違いはあっても目指しているものは同じでした。その時に、もう一度この人とやってみたいと思ったんです。

「すべての人々が生まれた環境や境遇に関係なく、心から望む人生を自由に選択することができる社会をつくること」

-それで実際に3Backsに入社して、どのような印象をもっていますか?

僕が11月に入社して、人事部に配属された時、ショックを受けたのが部署に漂う負の雰囲気でした。「新しい部長が来た、どんな人だろう?まずはお手並みを拝見といこう」といった冷めた空気感で迎えられたこと、あとは会社自体が急成長していることもあると思うのですが、事業自体がひっちゃかめっちゃかでしたね。やりたいことはいっぱいあるのに、整理が全然追いついていないというのか。

-そんな混乱の中、まず何から着手しましたか?

外様感がある中で、まずはひとりひとりと徹底的に話をしました。皆いろいろな思いをもってこの会社に来ているはずなのに、希望や不満があっても口に出せず、思考を停止して上から下りてくるものをただこなす状態になっていました。
そのことを、すごくもったいなって感じたんです。なので、そこから変えていきました。といっても、実際にやったことといえば、変わろうとしていた彼らの思いを引き出して後押ししただけですが。

-今は人事部長として手腕を発揮していますが、ともに働くメンバーたちをどのように感じていますか?

皆、メチャクチャいいヤツですよ。それに僕に負けず、皆相当なおせっかいですね(笑)。他人に対してとにかく熱くて、喜怒哀楽もはっきりしていてとても人間っぽいなと思います。

-そんなメンバーたちの力を借りながら、これから人事部をまとめていくと思うのですが、その先の目標についても聞いていきたいと思います。

目先のことで言えば、採用数を増やすこと、そして自身を含めた社員のレベルアップ、加えてリバースラボのコース拡大やコンテンツの増強、研修生の受け入れ先となる企業を増やすことでしょうか。
長期的なものでは、やはり≪すべての人々が生まれた環境や境遇に関係なく、心から望む人生を自由に選択することができる社会をつくる≫ことですね。
ただ、約7000万人いると言われる日本の労働力人口の中、20代の非大卒者や非正規雇用者数を合算すると1000万人以上に膨らむことを考えると、一企業だけで状況を打開するのは困難だと思います。僕らのビジョンや理念に共感してくれる企業などを巻きこみつつ、この課題に向き合っていきたいですね。

3Backsのミライを照らすGO NEXT!!! Vol.2では、人事部の友森旺彦のインタビューをお届けしました。
次回はいよいよ最終回!登場するのは、総務経理部の杉浦慶子 (Keiko Sugiura)です。
達成したい目標も、叶えたい夢ももたなかった彼女は、どのような歩みを経て3Backsに来たのでしょうか?
そのストーリーはVol.3で詳しくご紹介します。どうぞ楽しみにお待ちください!