2019/05/22
2016年5月、滋賀県から上京してきた大貴。
営業職を夢見て3Backsに入社した彼を待っていたのは、低迷する成績の中でひたすらもがく日々でした。
2019年3月に果たしたSECTION MANAGER昇格、そして迎えた5月の卒業。
これは3年間で大きな成長を遂げた大貴の、その背中を見せる卒業INTERVIEWです。
ありがとうございます。最終日の段階で結構な金額が足りなくて焦りました(笑)。僕が拓斗に帯同でついて6万くらい取ったものの、夕方の段階で2万くらいしか取れていなくて、「あと4万、取れるかな?」って不安になったのですが、迷いを振り切って走り回りました。
達成した瞬間は、もう全身の力が抜けてしまって、帰りは2人ずっと無言でしたね(笑)。時々「はぁー」って、お互い大きな溜め息を吐くくらいで。
僕は月初が悪くて、スタートがいつも遅れるんですよ。でSECTION MANAGER昇格がかかっていた3月も悪くて、月の半ば頃でしょうか… 山下さんに「本気で昇格する気あるの?」って怒られました。
もちろん昇格はしたかったのですが、支局のメンバーに「SECTION MANAGERにならせてくれ」って頼むこともできていない状態でした。もっと自分を出せと言われたので、支局に戻ってから「今月、SECTION MANAGERになりたいから、頼む皆頑張ってくれ」って伝えました。それからでしょうか、皆スイッチが入ったのか、支局が団結して売り上げを取るようになりました。
SECTION MANAGERになりたいというのは、僕個人の願望じゃないですか? 支局のメンバーに、そのことを押し付けることに抵抗がありました。
気を遣いますね、雰囲気作りとかはとくに。皆、人間ですから。だから皆の表情を見て、その時に皆がいい表情をしているか悪い表情をしているか判断して、悪かったら個別に対応して改善していきます。こちらが意識してどれだけ明るい雰囲気を作り出しても、個々の意識が落ちていたらやっぱり噛み合わないので。
滋賀県にある某工場で働いていましたが、退職して友達2人を巻き込んで東京に来ました。勢いに身を任せての上京だったので、プランとか何もなくて半年ほどフラフラしていましたね。
営業がやりたいなって考えていた時に、3Backsの人事の方に会いました。営業をやりたかった理由ですか? 営業で売り上げを取れるようになれば、どこでもやっていけるような気がしたので。
全然取ることができなかったですね(笑)。大変な思いはたくさんしました。
何とかMEMBERに昇格したものの、山﨑さんが帯同でついてくれたお蔭の昇格でした。この頃は取れる日と取れない日がとにかく極端で、その度に凹んで溜め息を吐いたりしていたので、山﨑さんによく怒られていましたね。陰のオーラを出して支局の空気を悪くしてしまったりして、本当に迷惑をかけたなって反省しています(笑)。
LEADER昇格に1年3カ月かかって、MANAGER昇格まで2年2カ月かかりました。本当に長かったですね(笑)。2年9カ月でやっとCHIEF MANAGER、2年11カ月でSECTION MANAGER…
そうですね(笑)。
最初のMANAGER昇格ですかね。個人だけの売り上げじゃなくて、部下がついての達成でしたから。でも、実はこの時は取れる2人を下につけてもらったというのがあって、わりと簡単に昇格することができたんです。その時の僕はといえば、LEADER時代に念願の100万を達成したこともあって、どこかで「自分はもう大丈夫だ」と過信していたところがありました。でも蓋を開けてみたら部下のマネジメントは大変で、結局自分の売り上げを落としてしまって組織が解体されました。
振り返ってみても、LEADERとMANAGERは苦戦の連続でしたね。勢いで昇格はできるのですが、継続して取ることができなくて、3カ月目以降はだんだん落ちていく…その繰り返しでした。本気で売り上げを取ろうとしているのに、取ることができなくて現場で泣いていましたね。
エリア埼玉支局に配属され、支局の再編に取り組むことになりました。僕の上に直紀さん、下に部下1人が残って、3人からスタートしました。最終的には7・8人なるまで支局を大きくすることができました。
この経験は組織運営の面で大きくて、1から組み立ててきたことで経緯などをすべて把握していたので、少しくらいのトラブルは対応することができるー崩れない環境を作ることができました。だからこそ自分のことに集中することができ、CHIEF MANAGER昇格・SECTION MANAGER昇格と、安定して結果を出せるようになったのかなって思っています。
僕のように売り上げを取ることができない人間でも、たとえどんなに時間がかかったとしても、諦めなければ絶対上がるということが証明できて嬉しいですね。辞めたいなって思った時期もありましたが、踏み止まって頑張ってきたというのは大きかったです。
自分の中で、「辞めるんだったら、取れるようになってから辞めよう」って思いがあったからです。取れないのに辞めるのって、ただの逃げみたいに感じてしまって。
もっと早くマックスの力でやればよかったな、ってことですかね(笑)。入社当時は適当に仕事をやっていて、売り上げも全く取ってくることができなかったのですが、決起会で自分よりも後に入ってきた子たちが売り上げをどんどん取って毎月上がっていくのを見て、「自分は、何でこんなに取れないんだろう?」って危機感を覚えましたーそれが入社から1年後のことでした(笑)。
会社には本当に恩を感じています。こんな自分を雇ってくれて、長いこと面倒を見てくれているので。
ぬからずにやってほしいですね。こんな自分だったので、下の子たちにはもっと早く上がってほしいという願いがありました。だから失敗もしましたね(笑)。最初の頃は厳しく接していたのですが、逆効果だったようで、変に強く言い過ぎると意識が下がっちゃうんですよ… そうなると組織の空気も悪くなりますから。だから相手を思いやって言い方だとか、そういうところを意識するようにはしていましたね。
鏡ですね。昔の…、ダメだった頃の自分を映す鏡です。「あぁ、自分もこんな感じだったよなぁ」とか、取ることができない辛さは共感できますし… だからこそその子が抱える課題に気づくことができて、でも同時にその課題を解決するための手助けができていない自分に気づかされて、鏡を見ている自分を直すことができるー部下に学ばされている部分ってありますね。